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| 【2007.7.1】 2004年7月7日、私はANNソウル支局の特派員として韓国入りした。それから丸3年、韓国・北朝鮮を中心に取材を通し、実に貴重な体験をさせてもらった。 韓国入りした2004年は、まさに韓流ブームの真只中。韓流スターの追っかけ取材を何度も体験した。ペ・ヨンジュン、チェ・ジウを始め、イ・ビョンホン、ソン・ミンスン、ウォンビン・・・多くのファンに囲まれ、にこやかに対応する彼らの姿を見て感心させられたものだ。何時間も笑顔を絶やさず握手や写真に応じるその姿に触れ、私には絶対出来ないと彼らの忍耐強さに感動すら覚えた。この頃の日韓関係は実に友好的だった。8月と12月に開かれた日韓首脳会談で、盧武鉉大統領は過去の歴史についてあらためて問いただすことはない。未来志向で将来的な友好関係を構築したいと繰り返した。 しかしその友好関係は長続きしなかった。翌年(2005年)2月の竹島(韓国名;独島)領土問題だ。日韓関係は一気に冷え込んだ。ソウルの日本大使館前を中心に、韓国全土で反日抗議集会が連日繰り広げられた。日本大使公邸には火矢も投げ込まれた。大使館の窓ガラスは割られた。大使館の中に入り込もうとデモ隊と警察が衝突、デモ隊の中でも特に過激な一部団体はライフル銃を振り回す。逃げ切れずカメラマンと一緒にデモの渦の中に飲み込まれ、足はすくみ、逃げる事しか考えなかった。恐ろしい瞬間だった。 その後も日韓関係はかつての友好関係には戻らず今に至っている。去年は竹島周辺の海洋調査を巡り、両国の海洋警察(海上保安庁)が一触即発の緊迫した事態にまで陥った。事なきを得、両国がなんとか落ち着いた時、日本政府の官僚と酒を飲んだ。その官僚がつぶやいた一言が忘れられない。「戦争ってこうやって起きるんだ・・・。」戦慄が走った。 北朝鮮ウオッチも私に課せられた重大な任務だった。ソウル赴任前は漠然と、いつか南北が統一し平和な朝鮮半島が訪れるといいが…と思っていた。しかし方や民主主義がほぼ確立した韓国と、軍事独裁政権の北朝鮮がそう簡単に統一できるものではないことを深く考えさせられた。核の廃棄と東北アジアの平和を目指し、開かれる6カ国協議。北朝鮮の独特な外交で、何度も中断を余儀なくされ、事態は思うように進展しない。軍事色を強める北朝鮮は、ギリギリの外交カードを、彼らの都合で勝手気ままに繰り出してくる。長距離弾道ミサイルを発射するとは思わなかった。2006年7月のことだ。7発ものミサイルを発射した。それから3ヵ月後には核実験まで行った。安倍政権誕生直後、初めて安倍―盧武鉉の日韓首脳会談当日のことだ。 北朝鮮を取り巻く環境は一気に悪化する。国連で制裁決議が可決され、非難を浴びながらも太陽政策(対北宥和政策)を推進してきた韓国も、すべての人道支援(コメなどの食糧・エネルギー支援)を中断した。北朝鮮はミサイル発射・核実験を通し、まさに出口の見えない、そして国際社会からの断絶という暗闇に、自ら入り込んだと感じた。核実験直後に北朝鮮の景勝地「金剛山」訪問の機会に恵まれた。(参照;第14・15回ビシバシ通信)案内人の北朝鮮ガイドの言葉に耳を疑った。会った北朝鮮の女性全員が「核実験は朝鮮半島平和維持のために実施した。今後も行うであろう。」と言葉を同じくする。 それからおよそ1年。北朝鮮の資金凍結が解除され、6カ国協議で合意された初期段階履行に向け、やっと北朝鮮が重い腰を上げ始めた。寧辺核施設の停止・封印に着手するとし、IAEA=国際原子力機関の査察を受けると言う。しかし、本当に北朝鮮が約束を守り、履行するかどうかその行方は不透明だ。非核化への道を本当に北朝鮮が歩んでいくのか、今後も紆余曲折があるだろう。しかし健全で平和な北朝鮮を願ってやまない。 涙し感動する取材も多く体験した。1978年、韓国西部に位置する仙遊島(参照;第9・11・12回ビシバシ通信)で拉致された韓国人被害者「金英男」(キムヨンナム)さん家族の取材だ。母親の崔桂月(チェゲウォル)さんは既に80歳を越す高齢だ。姉の金英子(キムヨンジャ)さんと母親の崔桂月さんが、日本人拉致被害者の横田滋さん夫妻に会いに初めて日本を訪問した時、私も同行し、東京そして横田めぐみさんが拉致された新潟を訪れた。 そこで、崔桂月さん金英子さん母娘は、横田夫妻と蓮池薫さんから、「今、金英男さんに会いに行かない方がいい、結局1回会うことが出来るだけで、取り戻すことにはならない。事件解決にはならないのだから…。」と諭されたが、母娘には、会いたい気持ちを抑えることは出来なかった。母娘は金英男さんが暮らす北朝鮮を訪問する。その再会の様子は繰り返し、TVで流れたので、ご記憶ある方も多いのではないだろうか。何度も母娘を取材した私もその再会の場面を見た時には、感動で心が震えた。私も涙した。しかし心を去来するものは複雑だった。会えてよかったねという思いと、会えた事で、拉致という残酷な事件を封印し、母娘の心の中に再会の喜びだけが一人歩きすることや、その後の再びのせつない別離・・・・。再会以来、母娘は金英男さんにまだ会えていない。韓国政府、赤十字に働きかけ、再会を希望しているが、再再会のメドはまったく立っていない。横田夫妻・蓮池さんが指摘した通りの状況になっている。母娘の心の中に寂しさしか残っていない。 鹿児島で姉が北朝鮮に拉致されている、大学の先輩、拉致被害者家族会の増元照明さんとも直接会い、酒を酌み交わした。(参照;第11回ビシバシ通信) ソウルに赴任し、僅か3年という短い期間ではあったが、実に多くの出来事に遭遇した。また多くの人と出会った。スタッフにそして友人に助けられたソウルでの生活に間もなく終止符を打つ。心は感謝の気持ちでいっぱいになっている。 真面目なネタも書いたが、実に下らぬ内容も多々あった。 読んで下さった皆様、お付き合いいただき、本当にありがとうございました。 最後に、 日韓関係の真の友好と、拉致事件の早期解決、そして非核化された平和な世界を祈りつつ・・・。 2007年7月1日 大韓民国ソウルより 石橋聡 |
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