![]() |
|
||||||
| 【2006.6.20】 今から18年前、私は就職活動のため東京の築地魚市場にいた。北海道大学応援団の先輩へのOB訪問だ。鹿児島出身の酒豪で凄まじく恐い先輩、北大応援団では伝説の男だった。初めて会う先輩は、果たしてどんな人なのか…、私はびびっていた。「おおー待たせたな!」真っ黒に日焼けした人懐こい笑顔の男が現れた。先輩だ。東都水産大物課に所属し、マグロなど大型魚のせり人。日本のマグロの値段を決めている、その業界では超有名な先輩。 その先輩に18年ぶりに韓国のソウルで再会した。横田めぐみさんの夫とみられる韓国人拉致被害者、金英男(キムヨンナム)さん家族に会うため、めぐみさんの父親、横田滋さんとともにその先輩は来ていた。 その人の名は増元照明さん。北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の事務局長。宿泊先で横田滋さんにINTするため、待っていたところに増元さんは現れた。18年振りの再会だ。にもかかわらず増元さんは、私のことをしっかり覚えていてくれていた。「行くか!?近場で軽く・・・」。 北海道大学第66代応援団・増元照明。いかにも酒が強そうな薩摩隼人。軽い酒とはいかなるものか。翌日は横田滋さんと金ヨンナムさんの母親との初対面。私にとっても大切な取材となる。深酒は避けたいところだが、先輩が飲めというならとことん付き合わなくては…。夜の10時半。近くの屋台で飲み始めた。 1978年、増元さんが大学3年生のとき、鹿児島でOLをしていた姉の増元るみ子さんが突然行方不明となり、その後、北朝鮮により拉致されたことがわかった。当時、先輩は大学3年生。北朝鮮は増元るみ子さんについて、86年心臓麻痺で死亡、遺骨は95年の洪水で流出と伝えてきた。一緒に拉致された市川修一さんも拉致された翌年の79年心臓麻痺で死亡、遺骨は95年の洪水で流出と、るみ子さんと内容はほぼ一緒だ。北朝鮮の発表はにわかに信じられない。2人が生きている可能性は高い。 大切なお姉さんを北朝鮮に拉致され、事務局長として奪還を目指す増元先輩。「何が何でも取り返す。姉はどんなに苦しい生活を強いられているか・・」。るみ子さんが無理やり北朝鮮に連れて行かれ、すでに約30年が過ぎようとしている。幸せな日本での生活を奪われ、北朝鮮で暮らすお姉さんに思いを馳せる。どんなに苦しくても辛くても、取り返すまで戦い続けると先輩は語った。 気がつくと、我々は、隣の屋台で飲んでいた、ANNソウル支局の同僚やテレビ朝日本社から取材に来ていた仲間と一緒になっていた。酒瓶は次々あいていく。ソウルに来て初めて人前で、北大寮歌を歌っていた。 「瓔珞みがく石狩の…」「タンネのツララ…」「湖に星の散るなり、かそけさよ…」 歌った・・・。蛮声張り上げ。飲んだ・・・。何本も。 先輩の幸せを祈り「永遠(とこしえ)の幸」を歌った。 永遠の幸 朽ちざる誉れ 常に我らが上にあれ よるひる育て 明け暮れ教え 人となしし我が庭に イザイザイザ うちつれて 進むは今ぞ 豊平の川 尽きせぬ流れ 友たれ永く 友たれ (北海道大学校歌) 歌いながら、ろれつが回っていないことに気がついていた。午前4時になっていた。 次の日は、やはり割れる頭を抱えたままの取材となった。先輩の目は、血走っていた。二日酔いなのか、それとも事務局長として必死だったのか。 その日、横田めぐみさんの父親・滋さんと、金英男さんの母親・崔桂月さんが初めて対面する。傍で取材していた私は、心が震えていた。言葉では言い表せない感情が込み上げた。 5月、金英男さんの母親と姉が初めて日本を訪問し、横田早起江さんと対面を果たす。母親同士の対面は、たとえ言葉は違っていても、互いに慰めあい、共に力を合わせ、取り戻すまで頑張ろうと固く誓い合うことで、しっかり通じあっていた。 東京・新潟を訪問した崔桂月(金英男の母)さんと金英子(金英男の姉)さんに私も韓国から同行した。取材先にはいつも必ず増元先輩がいた。 黙して多くを語らぬ男、増元照明。先輩の幸せを祈らずにはいられない。 すべてが解決したその日、翌日のことをまったく気にせず、とことん飲みたい・・。歌いたい・・。 増元先輩!友たれ永く友たれ!!! |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
|||
|
||||||