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| ▲生体解剖事件の最後の生存者東野利夫医師と鳥越キャスター |
連日の空襲で、敗戦の色合いが濃くなった1945年5月。九州大学医学部に目隠しされたアメリカ兵捕虜が運ばれてきた。捕虜は、軍関係者が見守る中、医学部教授らによって、片肺を取り除かれ、その状態で生きることが可能かどうか、調べられた。また代用血液として海水を血管に注入する実験も行われた。こうしたアメリカ兵捕虜への医学実験は、6月までの間に4回行われ、犠牲者は8人に上った。この事実は、戦後、明るみになり、GHQによる横浜軍事裁判によって、当時の関係者らに厳しい判決が下された。
この現場に居合わせた医師らは、出所後も沈黙を続け、ここ10数年の間で、次々と他界した。その中で唯一の生き証人が福岡市で開業医を勤める東野利夫氏(80)だ。
東野は、このときの心境について、こう説明する。「B29のために、毎日毎日、何千、何万という同胞が死んでいることに対する敵対心がむらむらと起こった。目の前で捕虜が殺されても、かわいそうという感情が起こらなかった」自分の心はなぜうずかなかったのか。医者として、人間として、自分は失格ではないのか。戦後、東野は葛藤に苦しんだという。
KBCでは、この九州大学生体解剖事件に関する資料をアメリカの公文書館で大量に発見し、長時間かけて検証を行った。その結果、捜査資料や医師らが提出した書類、裁判記録などから、事件の背景が浮かび上がった。なぜ、医師らは海水を血管に流し込んだのか。終戦間際の日本では、負傷した兵士、空襲でけがをした民間人を助けようにも血液が不足し手術が出来なかった。このため国は、代用血液の開発を各大学の医療機関に急がせていたという。日本人を救うためには、捕虜の命を奪っても構わないと誰もが思ったという事実。戦争末期、医師を追い詰めたものは何だったのか。 |