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九州スピリット

毎週土曜 よる10:59~11:05放送 歴史、文化、祭りの宝庫、九州。それぞれの風土のもとに育まれた過去は実に多彩です。郷土の過去とそこに秘められた九州人のスピリットを知って、ふるさとへの愛を感じてください。

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2017年11月25日(土)唐津くんち(4)故郷の伝統と誇りを繋ぐまつり

2017年10月14日

早熟の天才青木繁と坂本繁二郎


明治時代、日本の洋画界で大きな足跡を遺した青木繁と坂本繁二郎。福岡県久留米市で同じ年に生まれた二人は、こんな言葉で比較されていました。
「早熟の青木」と「晩成の坂本」。
今週は早熟の天才といわれた青木繁の成功の道程を紐解きます。


明治15年、旧久留米藩士の長男として生まれた青木繁は、16歳の時、画家を志して上京。現在の東京芸術大学の前身東京美術学校に入学します。洋画の中でも古代神話を題材にしたロマン的な色彩の絵画を製作した青木は、在学中だった明治37年、白馬会という展覧会に出品した作品で見事、白馬賞を受賞。

さらに翌年、美術学校を卒業した彼は、白馬会の展覧会に「海の幸」という作品を出品。後に生涯の代表作となるこの作品で、青木繁は高い名声をあげたのです。この時、青木は22歳でした。

この「海の幸」は、青木が千葉県に写生旅行へ行った時に描いたもので、この旅行に同行していたのが、同じ久留米出身の坂本繁二郎でした。坂本は、先に上京していた青木が徴兵検査で久留米へ帰省した折、一緒に上京。一年近く共同生活をしていました。
しかし、若くして名声をあげた当時の青木のことを、坂本は後にこう記していました。
「画壇の一部から鬼才とまで恐れられながら、主流にはいられず、(中略)そのいらだちが私にも伝わってきます。陽気かと思えば不機嫌に当たり散らし、ふさぎ込んでいたかと思うとはしゃぎ出し、(中略)1年足らずの共同生活は、さすが辛抱強い私にとってもがまんできないこともありました」

同じ小学校で学び、ともに画家を目指して励ましあっていたはずの二人。しかし、上京後の生活で次第に心が離れていってしまった青木と坂本はこの後、人生の岐路に立たされるのです。

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