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九州スピリット

毎週土曜 よる11:10~11:15放送 歴史、文化、祭りの宝庫、九州。それぞれの風土のもとに育まれた過去は実に多彩です。郷土の過去とそこに秘められた九州人のスピリットを知って、ふるさとへの愛を感じてください。

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2018年09月22日(土)上野彦馬(4)龍馬の夢を手助け!?

2018年07月08日

学問の光を守り続けて藩校・育徳館



福岡県の東部みやこ町に建つ福岡県立育徳館高校(旧・豊津高校)県内最古の歴史を誇るこの学校は、今年創立260年を迎えました。今月は未来を担う青年たちの学び舎を260年間にわたって懸命に守り続けた福岡県最古の名門校のスピリットに迫ります。

育徳館高校の歴史は、小倉藩が宝暦8(1758)年、小倉城内に藩校・思永斎(思永館)を開設したことに始まります。
小倉城内にあった藩校が何故、みやこ町に移転したのでしょうか?
小倉藩主だった小笠原家は、関ヶ原以前から徳川家に仕えていた譜代大名で、薩摩や長州など西国の外様大名の監視をする役割を任じられていました。幕末の慶応2(1866)年、小倉藩は幕府から長州征伐を命じられますが、高杉晋作たち長州藩の反撃に合い敗北。自ら小倉城を焼失させた末に、現在の香春町へと撤退し、その後、みやこ町がある豊津の地に拠点を構えることになったのです。

藩の再興のためには教育に力を入れ、人材を育てるしかない。小倉を明け渡した後も、藩は寺院などを間借りして教育体制を維持してきました。そして、豊津の地で藩校「育徳館」の建設に乗り出すのです。しかし当時、敗戦によって藩の財産をほとんど失ってしまい、自力で学校を作ることは厳しい状況でした。
このピンチを救ったのは、小倉藩内の豪商でした。

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