毎週土曜 よる11:10~11:15放送 歴史、文化、祭りの宝庫、九州。それぞれの風土のもとに育まれた過去は実に多彩です。郷土の過去とそこに秘められた九州人のスピリットを知って、ふるさとへの愛を感じてください。
2019年02月23日(土)村社講平(4)世界のムラコソが繋いだ夢
2018年08月11日
今から100年前、福岡には東洋一の規模を誇る飛行基地がありました。その名は大刀洗飛行場。
飛行兵を始め、約3万人もの航空関係者が在籍したこの地には、特攻隊として出撃した兵士たちや、空襲で我が子を失った人たちの悲しい歴史が刻まれていました。今月は終戦から73年目に、東洋一の飛行基地が辿った物語に迫ります。
かつて、福岡県筑前町から大刀洗町にまたがる広大な土地に飛行基地がありました。大刀洗飛行場と呼ばれたその基地が完成したのは、今からおよそ100年前の大正8年。敷地面積は福岡やフオクドームの約19倍もあったといわれています。
この地が選定された理由は
?中国大陸へと向かう航空機の中継基地が、九州に必要だったこと。
?万が一敵の艦隊が攻めてきても海上から離れていたこと。
?気象条件が安定していて、飛行の害物が周囲になかったこと。でした。
やがて昭和12年、日中戦争が始まると飛行場の周辺には航空兵を育成する学校や飛行機製造工場などが次々と作られ、物資輸送のために鉄道も引かれました。それが、現在の甘木鉄道となったのです。
ところがこの飛行場はその後、悲惨な結末を迎えることになります。飛行場の側に建つ銅像には、今も生々しい傷跡が遺されているのです。